Kubo New York Trio 1st CD 作成について


ご紹介

久保弘、ニューヨーク住在33年、プロドラマーになるべく渡米するが人生の大荒波に飲まれて振り回されつつも、、、全てをリセットし新たに音楽に生きていく還暦親父。NYのJAZZの最高峰の音楽スタジオ、Michel Brorby Recording Studioで録音、そしてMixing及びMasteringはAvatar Studiosにて行う。又、New Yorkで選び抜かれたミュージシャン達との共演。還暦過ぎてもチャレンジする勇気と希望を皆様にあたえ、このCDを介してニューヨークサウンドをJazzファンだけではなく、クラッシックファンや、多くの幅広い方々にも楽しんで頂ければ嬉しいです。


コンセプト

「癒しと愛」をテーマに、美しいメロディーとアレンジ、及び選曲を心がけました。その為、ブラームスやベートーベンなどのクラシックの曲もデリケートで、エレガントな音作りと演奏のアプローチになっております。ドラマーのリーダーアルバムとゆうより、ピアノトリオでの音作りです。又、3人の違ったスタイルをもつNYで活躍するトップピアニストを各曲ごとに起用、大変贅沢な作りとなりました。


販売

このCDは、米国のCDbabyから発売されました。日本ではデスクユニオンさんなどでも、購入可能です。又、デジタル配信は, Apple Itunes/Music, Googelplay,AmazonMP3, Spotifyなどで取り扱っています。米国内だけでなく、日本のレコード店の店頭販売、又、販促の為の各メデア( TV, FMラジオ、雑誌、など )でのご案内、日本でのツアーなどを検討,その為のブッキング、ツアー手配、各アレンジメント)など、New Yorkに住在の為、これらをお手伝い頂ける方も探しております。


メンバー紹介

ピアノ 百々徹
1995年ボストンのBerklee College of Musicのジャズ作曲科に留学。 在学中に演奏部門で “ Performance Award ”作曲部門で“ Herb Pomeroy Award ”を学校より受賞。1997年 Berklee CD『 Summa Cum Jazz~the best of Berklee College of Music』(BMG JAZZ CLUBより発売。1998年春学校を首席で卒業。2008年5月 ブロンクスのアーティストを支援する、Bronx Council of ArtsよりBRIO Awardを受賞。 2009年SOMIバンドでモントリオールジャズ祭に出演。2011小林陽一Good Fellows日本ツアーにVincent HerringとEric Alexanderと共に参加。2014小林陽一USA/JAPAN Good Fellows ツアーに、Vincent Herring, Eric Alexander, 金森もといと参加。26日連続ライヴを行う. 2011年8月からオフブロードウェイショーSleep No Moreに定期的に出演演奏中。Kenny Garrett, Benny Golson, Curtis Fullor, Louis Haysなど数多くのアーテストと共演。今年、Vocal SOMIのツアーメンバーとして スイス、モントレージャズフェステバルに出演。

ピアノ 白崎彩子
東京芸術大学音楽学部ピアノ科卒業。95年「第一回ハイネケン・ジャズ・コンペティション」のピアノ部門で、準グランプリ受賞。99年 マンハッタン音楽院の大学院へ奨学生として入学。ピアノをケニー・バロン、インプロビゼーションをテッド・ローゼンタール、作曲をマイク・アベーニの各氏に師事。2001年5月大学院の修士課程を首席で卒業。これまでの共演者は、Tim Collins (vibes), Tom Landman (g), Steve Kirby (b), Harold Ousley (ts), Kalil Madi (ds), Clarence Penn (ds), Greg Hutchinson (ds), Kenny Garrett (as), Lewis Nash (ds)

ピアノ 宇関陽一
2000年9月渡米, 2006 Queens College, CUNYのジャズ科修士課程卒業時にSir Roland Hanna Awardを受賞。York College, CUNYで教鞭も取る。2004年よりJamaaladeen Tacuma(b)のグループ"に参加。そして2010年にはOrnette Coleman(as)、Wolfgang Puschnig(fl, hojak)、TonyKofi(ts)、Justin Faulkner(ds)とのレコーディング"FOR THE LOVE OF ORNETTE"をおこなう.2006年からはOliver Lake(as) 率いるビッグバンドのメンバーとしても活動しその他、Pharoa Sanders(ts)、Alex Blake(b),Alex Foster(as)、Roy Campbell (tp)など、多数のミュージシャンと共演。

ベース 脇義典
1996 年にバークリー音楽院に留学。卒業後ブロードウェイミュージカル「フォッシー」のナショナルツアーカンパニーに参加。現在はニューヨークを拠点として活動中。 これまでにアーティ・ショー・オーケストラ、ハリー・ウィタカー、ジャック・ウィルキンス、スザンヌ・ヴェガ、ジョージ・ガゾーン、アンジェリカ・キジョ、ハル・クルック、ジミー・コブ、ジョン・スコフィールド、リチャード・ストルツマン、ゲイリー・バートン、デボラ・ハリー、バリー・フィナティ、アル・フォスター、ジョージ・ベンソン、レニー・ホワイト、ベン・モンダー、ジョー・ロヴァーノ、また、参加レコードのうち、ダン・ゼインズ「キャッチ・ザ・トレイン!」がグラミー賞(2007)、山中千尋「アフター・アワーズ」が日本ゴールドディスク大賞(2009)をそれぞれ受賞している。

ベース 植田典子
1997年B.E.S.T. scholarshipをボストンのバークリー音楽院より受け、翌年 留学。 第三回l BMI Foundation/Charlie Parker Jazz composition で優勝。 現在Grady Tate Quintet, Ted Rosenthal Trio,the DIVA Jazz Orchestra, DIVA Jazz Trio andFive Playなどのメンバーとして活躍中。その他 Kenny Barron, Victor Lewis, Frank Wess, Gary Bartz, Nancy Wilson, Roy Haynes, Joe Chambers, Othello Molineaux, Junior Mance, Larry Willis, Lew Tabackin, Joe Hunt など多くと共演。

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収録曲
1. Love Theme From Spartacus
2. So Tender
3. Brahms Symphony No.3 3rd Movement
4. Nardis
5. Estate
6. Wise One
7. I’ll wait For You
8. Rolling Leaves
9. No More blues
10.Beethoven Piano Sonata No.8 Pathetic 2nd Movement
11.Love Theme From Spartacus ( Epilogue )

Drum Leader : Hiroshi Sammy Kubo
Piano : Toru Dodo (2, 3, 6, 7, 8, 10 & 11)
Piano : Ayako Shirasaki (1 & 5)
Piano : Yoichi Uzeki (4 & 8)
Base : Yoshinori Yoshi Waki (2, 3, 4, 6, 7, 8, 9, 10 & 11)
Bass : Noriko Ueda (1 & 5)

Total Produce & Art Design / Director : Hiroshi Kubo
Music Director / Arrangement : Toru Dodo (2, 3, 6, 7, 8, 10 & 11)
Recording Engineer / Michel Brorby Recording Studio New York : Michel Brorby
ixing & Mastering / Avatar Studio New York : Katsu Naito
Editing Nori Studio Brooklyn New York : Nori Naraoka
Photo Abe Studio New York : Hiroshi Abe

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1017

New York への道 渡米最初の地、Los Angeles  

Los Angelesのナンシーから教わった、アメリカの教え



日本で最後の経験となったバンド、「JAGATARA」。
その強烈な思い出は風化していきます。

しかし、このバンドとの短く凝縮された時間の共有は、
私の意識のある部分の中で、今でも生きているのかもしれません。

新しいものを作る上で自由な発想が必要とされますが、
そこで邪魔になるのが、既成概念や閉ざされた思考です。

現在の価値基準は全て、我々が作りあげたものです。
それは必ずしも正しいとは限らないし、不変でもありません。

創作活動において、このオープンなスタンスが必要な事を、
このバンドを通して私は強く思いました。



LAへ、
1983年初春、LAの飛行場には既に、私の友人が迎えに来てくれていました。
お世話になるホームステイ先に向かう車中、LA Lifeやアメリカでの心構えなど
色々とアドバイスしてくれました。

「サミーな、これは本当に重要なことだ! 
アメリカに永住するか、又は期間を決めて
日本に帰るかを、必ず早いうちに決定しないとだめだ。!
どんなに素晴らしいアーテストやその他の人でも、
合法的な労働許可証やVISAが無いと、
最終的にはなんにも出来ず、全て無駄に終わる。!
俺、そんなやついっぱい見てきた。!」



このアドアイスは非常に有り難かったと、後々感謝しました。



潮の香りと乾いた空気の心地よさを感じながら、車の窓から遠くに視線をやると、
あふれるほどの夕日を反射して、オレンジ色に染まった水平線が現れました。

そうか、ここが私がホームステイするハモサビーチあたりなんだ、、、
そう思ってしばらくすると車は、ビーチからすぐ側の一軒の家に止まりました。

イタリア系の白髪でちょっと猫背のおばあちゃんが、笑顔で迎えてくれました。
彼女は大学で英語を教える教授で、他の多くの日本人も世話になったそうです。


そしてその日から、全く英語が喋れない自分との悪戦苦闘の日々が始まりました。
最初はナンシーが言っている事がほとんど理解出来ませんでした。

解っていないのにも関わらず、ニコニコ笑顔で解ったふりする僕に、

「あなた、ちゃんと私の言った事理解してないでしょう。
英語旨くなりたいのなら、そうゆう事は絶対にやめなさい!」
本当にこっぴどくしかられました。

そんな厳しい面もありますが、彼女の誕生日に大好物のフィレミニオンをプレゼント
した時の事。本当に嬉しいといいながら食べる姿は、ちょっと可愛いお婆ちゃんでした。



半年もすると、彼女の授業内容が多少分かるようになって来ました。
ある時、彼女は私にこう切り出しました。

「ところで、あなたは何の目的でこのアメリカへ来たの?」


「そりゃもちろんJAZZを勉強して、このアメリカでMusicianとして活躍するためですよ。」


「そうね、、そう思ってがんばっている人は、星の数ほどいるわよね。でも残念ながら
この国で生まれ育った米国人ですら、そうなれる人はほんの一握りしかいないのよ!
もしプロとしての夢がななわなかったらどうするの?」

私。
「そんな事わかってますよ。それにまだ、だめだと決まったわけじゃないし、、、」


「プロになれなくても、音楽と一緒に生きて行くってことも出きるんじゃない?
まずはこのアメリカでなんとか食べて行くことよ。それとも日本に帰る?」

私。
「んんん、、日本じゃ音楽のやりすぎで、大学中退してるしな~~
音楽しか経歴ないんで、普通の勤めも出来ないし、難しいな~~。」


「良く聞きなさい!そう簡単に自分の人生を諦めてしまう人なんか、
誰もこの国にはいないわよ!!
大学中退だったら、行きなおせばいいだけじゃないの。
普通の職歴が無ければ、これから作っていけばいいだけのことじゃない。」

「いい、、あなたがこの国が好きで、この国でこれからずっと生きていくんだったら、
次の3つの言葉を絶対に忘れないようにしなさい。」

1. Never give up  決してあきらめない。
2. Never too late  決して遅くない、年は全く関係ない。
3. Just do it.     とにかくやる、すぐやる。


私はその時、彼女の、つまりアメリカ人の考え方を知って、
自分の心にしまってあったある種の抑圧されたストレスが一気に砕け散り、
心の中で、その言葉を何度も何度もつぶやき、それを繰り返していました。

「そうなんだ、Never give up, Never too late,
Just do it そうゆうことなんだ。」


このアメリカでは過去の事よりも、現在いったい自分は何をしているのか?
そして将来何をしようとしているのか? に主眼が置かれていると思います。
そして法律により年齢制限が厳しく罰せられ、定年とゆうのがありません。
後日友人が「あのナンシーはさ、最後の死ぬ間際まで必死に勉強してたよ。」と。


何時でも、やり直しが出来る国なんだ!!


この時、彼女のこの教えがなかったら、還暦になって
CDをリリースする事はなかったと思います。

こうして半年後、ナンシーの素晴らしい教えを胸に秘めて、
憧れのNew Yorkへ旅立ちます。



この当時よく聞いていたCD

Herbie Hancock / Head Hunters "Sly" 1973年リリース 今から42年も前とは、、



始めてこれを聞いたロック少年の僕は、腰を抜かすごらいびっくりしました。
特にSLYって曲はHarvy Masonのドラムがグルーブしまくってます。だんだん
テンポが速くなってきて走っていますが、グルーブしてるんでそんなの事関係ない。
リズムキープしててもつまんないのはつまんないですから、、、

Chick Corea Friend / "Capuccino" 1978年リリース 



ステーブガッド、ドラム、炸裂 ! ジャズは3連のレガートでと習っていた僕は
ぶったまげました。レガートなんてやってない!4部音符のみでめちゃくちゃグルーブ
出来るんだと思った作品。とにかくスイング、グルーブしてなきゃ。

Jaco Pastorius / "Donna Lee" – 1976年



これも初めて一曲目のDonna Leeを聞いた時は、もうビックリで絶句していました。
なにせこんなスタイルのベース聞いた事もありませんでした。一本のベースから多彩な
サウンドがこんなに出せるとは信じられませんでした。








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Posted on 2015/10/17 Sat. 04:58 [edit]

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0928

Jazz, ファンク, 愛好家へ!New York、還暦CD作成への初挑戦  

New Yorkへの道 (渡米理由 - 日本でのバンド活動)
 



私の人生、振り返ると挫折と失敗だらけです。
結婚、子育て、離婚。
米国で音楽にたずさわれた時間はわずかです。
それでも反面教師として、読んで下さった方々に少しでもお役に立てればと思います。


私は焦っていました。

どうしよう、どうしよう


心の中で叫んでいました。


全てがどうにもならない!


もう30歳に手が届く年齢。
全てが行き詰まっていました。

1982から1983年の短い間、私はサミーと呼ばれ、JAGATARAと言う
バンドのメンバーでした。
初のデビューアルバム「南蛮渡来」のレコーデングが完了し、全国ツアーも終了する。

それと同時に私のそのバンドのメンバーの役割も終わりました。


音作りは色々と実験を繰り返していました。
新しいオリジナルなサウンドを探し求め。
愛だの恋だのと歌う、既存のものに興味は無く、
しかし、それは僕にとって大きな壁、
つまり理想と現実のギャップ。


これからどうすりゃいいんだ!

 
ある時、ベースのナベちゃんに相談しました。


「ナベちゃん、俺、様々な演奏スタイルの要求を満たすことが出来ないよ。
なんか自分のスタイルが分からなくなったよ。
以前からニューヨークかジャマイカには行ってみたかったんだ。
そこでなにかを見つけられるかもしれない。」


「サミー、気持ちは良くわかるよ。実は俺も行ってみたいんだよね。」


「ええ! ナベちゃんも?」


「旅費が必要なんだろう? 俺、お金稼げるバイト知ってるんだ。
紹介してやるよ。高速道路の休憩所にある食堂の深夜専門のウエイター。」

わずか一年でメンバーを脱退した私は、翌年
ナベちゃんに紹介されて貯めたバイトのお金で、LAに旅立ちました。
この会話が彼との最後の別れになるとは、、、


[ じゃがたら ]
まず初めに、私がじゃがたらに在籍していた1年間以外は全て、
資料を元に書かれている事をお断りしなければなりません。

もう33年も前の話です。
多くの記憶が葬り去られた中、ある断片だけがフラッシュバックのように蘇ります。

1982年のレコードデビュー当時、メンバーは私も含めてまだ5人だけでした。
セックス、ドラッグ、ロックンロール、パンク、
スキャンダラス、相次ぐメンバーの死、伝説のバンド、
色々と世間では言われていたようですが、
少なくとも私がこのバンドにいた時を考えると、そうは思いません。

最初はメンバーになるのをためらっていました。
悪い噂をろいろと聞いていたからです。
見せもの的なパフォーマンスです。
それは音楽じゃなと思っていました。
それでもメンバーと色々と話す中で変わっていき、
音楽だけで勝負する方向に完全にシフトしたこと。
既存のものでない独自なオリジナル性と創造の追求。
様々なジャンルの音楽を融合させ、自分達の音にしてしまう面白さ。
などいろいろな理由があってメンバーになったんだと思います。

ここで言う創造性やオリジナリティーの意味や定義は、色々あると思います。
たとえばビートルズが難しいJazzを演奏出来るかと言ったら当然NOでしょうが、
もの凄いテクニックと演奏技術を持ったJazzミュージシャンが、ビートルズのような
美しいメロデーラインの曲を作れるかと言えば、そうとは限りません。

又、マイルスのように常に新しい音楽にチャレンジしていき、
表現スタイルが、時代とともに変化していく。
同じことの繰り返しより、新しいスタイルを創造していくこと。
絵画で言えば、ピカソがそのマイルスにあたるように思えます。


私がメンバーになった当時パンクが流行っていて、その名残が残っていました。
最初のステージの事は今でも覚えています。
新宿のある地下の薄暗いステージで演奏していたら突然、
真っ裸の女性がステージを走りまくり踊り始めました。

なななんだ、こりゃ!

メンバーの顔を見ると、いたって冷静。
僕は見とれて演奏に集中できず大変でした。
この頃ジャガタラにはコーラス隊がいました。

メンバーにはポルノ女優もいて、
網タイツや下着姿が楽屋を賑わせていた記憶があります。

又、お客がステージに上って来て、ドラムセットが斜めになってしまい、
演奏出来なくなる事もしばしばでした。

後にも先にもこんなバンドは経験した事がありません。

「メンバー」

メンバーのVocalのアケミとBassのナベちゃんは、残念ながらもうこの世にはいません。
それを知ったのは、私がNew Yorkへ来て随分と経ってからでした。

Vocal    江戸アケミ
Guitar    OTO
Guitar    エビ
Bass     ナベ
Drum    サミー (自分)


Vocal アケミ

私は本人に会うまでアケミという名前なので、
どんな素敵な女性のVocalかと思って、ワクワクしていました。
しかし実際会ってびっくり、いかつく、ごっつい男じゃありませんか?
最初、あっち系の方かと大変警戒していました。

アケミの事で、思い出せる2つのエピソードをご紹介しましょう。

ある日リハーサルの時、アケミが突然、
「俺な、この間 猫がさかりがついてな、セックスしているの見たんだよ、
そしたら気持ち悪くなって吐き気がとまらなくなったよ。」

繊細で、その鋭い感受性は複雑な倫理観と絡み合い、
深淵な心の底の、なにか闇のようなものを見てしまったような、、、
幼い頃のクリスチャンの体験が深層心理に影響していたのかもしれません。
明治大学文学部史学地理学科で教師の道を志し、
挫折したのはその時は知りませんでした。


又, 北海道ツアー中、私が函館で親しくなった女性がいました。
その彼女は、私を青函連絡船の港まで見送りに来たてくれました。
桟橋の向こうから手を振る彼女の姿が暗闇に消える頃、
アケミの大声が突然後ろから聞こえてきます。

「サミーちゃん、サミーちゃん、
 俺はもの凄く感動したぞ!
 いや~~ いいな~~いいな~~ 」


その声でふと後ろを振り返るとメンバー全員が、
ニコニコと微笑んで立っているではありませか!

私と彼女がロマンテックで、切ない別れの世界に浸っている時、
その一部始終を皆は見ていたのです。

超ハイテンションになり、めちゃくちゃ喜んでいた
アケミの顔は今でも忘れられません。
この人は外見と違って本当は純粋でロマンティストなんじゃないかなと、
ふとアケミの内面を見た気がしました。


アケミの奇行が始まったのは1983年の秋。
丁度私がNew Yorkに移り住んだ頃です。

そしてついに精神障害を起こして治療をうけるため、
休養期間は、四万十川が流れる実家の高知に2年ほどいたそうです。

復帰後も病院の外出許可や保護監視のもと、パフォーマンスを続け、
1989年BMGビクターと契約、その年の日本ロック部門1位にもなったそうです。

しかし、翌年の1月27日、大量の精神安定剤の飲みすぎで、
溺死しているのを風呂場で発見され、帰らぬ人となりました。

享年36歳

私がバンドを去った後、アケミがそんな病で侵されていたとは、
今でも全く想像出来ません。


Bass ナベちゃん

ナベちゃんとは、彼と奥さんの結婚の仲人、南さんと言う方の紹介で知り合いました。
ギターの南さんと私は R & Bのバンドを一緒にやってて、オーテスレデング、
サムクック、フォートップス、テンプテーションズ など演奏し、
大変楽しいソウルバンドでした。

そのころジャガタラは、ドラマーがなかなか確定せず苦労していました。
そこでナベちゃんの仲人の南さんから僕へ話が来た感じです。

ナベちゃんは優しいやつで、冗談のセンスも抜群で、良く笑わせてもらいました。
一体どこからその笑いのセンスが出てくるのかと、いつも関心してました。

自分の仲人さんの紹介で私がバンドに加入したからかもしれませんが、
私に結構気を使ってくれてました。
それに、いろんなドラマーが来ては直ぐ辞めて行く理由も、あったのかもしれません。
ドラミングで僕が集中砲火を浴びる中、よくかばってくれたり、慰めてもらいました。

バンドを辞める時に最初に相談したのはナベちゃんでした。
渡米の旅費の心配までしてもらい、今でも感謝しています。

そのうちNew Yorkかジャマイカに移住するのかなと思ってました。


「ナベ、お前もヤバイ、次はお前の番だ! 
だから気をつけろ」


アケミのなぞめいた予言かどうかわからないですが、
アケミが発狂した1983年、アケミの後を追うようにおかしくなり始め、
躁状態の病に陥りました。

奥さんの献身的な介護もあってその後回復したそうですが、
1992年、アケミの死の2年後、急性肺炎のため死亡。

享年38歳


二人とも繊細で、優しすぎて?
命を削るように全力疾走していったんだろうか?
刹那的すぎる。
それは私にはわからない。

本当に短い間でしたが、それは物凄い凝縮された時間と経験でした。

アケミもナベちゃんも自然に常に囲まれている環境で育ち、
真の部分が純粋、素朴だったと思います。

私は生まれは東京ですが、両親の関係で実家の福岡の田舎で
小学校1年から5年まで育ったので、
なんとなくこの二人の ”感覚“ が分かる気がします。

アケミの場合、色んな要素の影響があったのではと思います。
西洋のキリスト教の影響下での二元論。
つまり善と悪のような相反する相対的な見方。
又、自然崇拝的な神道の部族、村の運命共同体。
これらは色んな形で彼らに現れているのではと思います。
  
都会、自然破壊、- 田舎、自然崇拝。
個人主義 - 土着性、村的共同体。
商業主義のメジャーデビュー - 妥協しないインデーズ。
セックス、ドラッグ,パンク - 宗教的な倫理感。
閉ざされた疎外感 - 精神の開放。
などなど…

彼が残した言葉にこう言うのがあります。

「要するに救われたいんだよな。それも宗教以外で。じゃあ何かっていったら
リズムなんだよ。やっぱり。リズムに開放される時ってあるじゃん? 
一瞬だけどさ、リズムに救われってことが。その一瞬を掴まえたいんだよ。」

解放? 精神と肉体が一緒に共存している以上、両方が成り立たなくてはなりません。
セックスやドラッグでは肉体の一瞬の間の開放は得られるかもしれませんが、
完璧ではありません。
その両方が開放されるのがリズムだとアケミは感じてたんでしょう。



1982年、まだCDに移行する前で、レコード盤と言われたアナログ時代です。
「南蛮渡来」のでも•デモ•Demoと「タンゴ」を聞くと、
この時のレコーデングが走馬灯のようによみがえります。

一曲目 でも•デモ•Demo

あんた気にくわない!   
くらいね、くらいね、 くらいね、くらいね、
くらいね、くらいね 性格がくらいね、
くらいね、くらいね 性格がくらいね、
で、で、でも   で、で、でも

みんないい人、あんたいい人
いつもいい人、どうでもいい人
今宵限りでお別れしましょう ♪ ♪

Jagatara / でも_demo スタジオ録音版



ボーカルの江戸アケミがサウンドに変化をつけようと、
録音途中突然バケツに頭を突っ込んだ。
そこは35年も前、六本木のMOD Studioでした。

ライブバージョン



このライブのビデオ時、私は既にNew Yorkに渡米していて、
ドラムは僕ではありません。
録音と違い、ライブ版でのアレンジとこのハインションは大変好きです。

タンゴ スタジオ録音版



この曲の録音には、大変時間がかかった覚えがあります。
当時のポリスとレゲエの影響があります。
一つ一つのドラムのフィルインの細部まで検討しましたが、
なかなか良いアイデアが出てこず、
ドラムの録音ブースの中で、につまっていました。
演奏は私ですが、このVideoには登場してません。

デビュー盤作成にあたり、数多くの音楽の会話が
バンドメンバー内で交わされていました。
フェラクテイ、 マイルスデイビス、 フランクザッパ、 Pファンク、
ボブマーリー、 ローリングストーズ、色々です。

次回、LA と NYへに続く

Posted on 2015/09/28 Mon. 07:12 [edit]

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Kubo New York Trio リーダー, ドラム 弘(サミー)久保 自己紹介   

自己紹介
Jazzミュージシャンを目指して、このNew Yorkに来たのが32年前、米国人妻など、
2度の離婚、自分と連れ子を育てあげ、失業、お店の閉店などなどを乗り越え、再度3度目のプロミュージシャンに挑戦中。

Never Give Up ! Never too late ! Just do it !

大体の経歴

1. 高校時代、渋谷YAMAHA音楽教室のドラム課でジョージ大塚さんにドラムを習う

2.  ジョージ大塚さんの推薦で渋谷エピキュラスのジャズのコンサートで ジミヘンをフューンョンタッチにして演奏。それを舞台の袖で見ていた、ドラマーの村上ポンタ秀一 さんに気に入られてアシスタントを始める。(この時は渡辺香津美バンドでした。)

3.  この間、 山下達郎の六本木のライブレコーデングや、吉田美奈子、渡辺香津美KILYNバンド、松岡直哉ウイッシング、など数々のスタジオワークのアシスタントをする。

4. ある事情でポンタ氏突然演奏活動停止の後独立し、TVの音楽番組や某大手事務所のタレントのバックバンドの仕事を始める。その頃インディースでは伝説のバンドとなった[ 暗黒大陸じゃがたら] からサポートメンバーとして誘われ、初のレコーデング。「南蛮渡来」の製作、そしてツアーを開始する。

5.  評論家の中村とうよう氏や近田春夫氏らにこのレコードは絶賛されるが、音楽的な考えの違いからツアー終了後 1983年NY行きを決め渡米。

6. 1983春、LAの友人を頼って初の渡米、有人の紹介でナンシーとゆう、大学で外国人に英語を教えている老教授のお宅に住み込みを始める。そこで初めて彼女からアメリカで生き抜く為の3つの言葉を教わり目覚める。 それは
   1) Never Give Up けっしてあきらめない。2) Never Too Late けっして遅くない
   2) Just Do It とにかくやる。の3つの短く単純な言葉でした。

7.  1983年秋からEast Village に住み始める。Avenue Bの14st, 10thのA.Bときて、 3rdのB,Cあたりから命の危険を感じて、半年後に86streetのアッパーウエストに引っ越す。

8. 持ってきた金もそこをつきレストランやゲイバー (もちろん自分はストレートですが、笑い)でバスボーイやウエイターのバイトをしながら語学学校に通い、ジャズモ ービルではチャリーパーシップ、フレディウエイツ氏などに師事。

9. 1984年, 2人の女の子の連れ子の米国人とワールドトレードセンター で知り合い、その屋上に牧師を呼んで最初の結婚を行う。 (ご承知のとうり9/11でこのビル 崩壊してない。)

9. 1985年、大手日系企業に働きはじめる。 息子の誕生を機会にNJの田舎に家を購入。3人の子供達を育てあげる。その14年間の結婚生活では子育ての為、一切の音楽活動をやめ、全く楽器もさわらずその後離婚。

10. その後20歳年下の日本女性と再婚して、北野ホテルでピアノトリオで演奏開始。この間、ピアノの白崎彩子、百々徹、アキコグレース、など数々のミュージシャンと共演するも7年後に解散。そして同時期に2度目の離婚と全ての演奏活動を中止。

11. 離婚後、NJからまたNYのアッパーイーストに何十年ぶりかで戻ってきて、独身のフリーに戻る。 昼は日系企業に勤めながら、夜はラーメン屋「久保屋」をEast Villageに2010年にオープン。そしてオープンマイクやイベントなども始めるが、4年後、経営難や体調を崩し閉店。 2ヶ月の休養後、7月ドラム練習を再度開始する。

12. 長いドラム演奏のブランクを埋めるべく、ラーメン屋クローズ後、昼の会社勤めをしながらも必死の半年間の練習を続ける。 2014年9月、以前から構想していた「奏者だけの音楽ではなく、普通の方も聴いて楽しんでもらえる」アルバム作りを開始する。2014年,10月に全てのメンバーが決定してスケジュール調整にはいる。曲、アレンジが全て完成して、12月にリハを行う。 2015年1月27日、28日の両日にレコーデングを行い、そして初の今回の還暦デビューDCアルバムを7月にリリース。

13.  2016年 久保New York Trio 日本ツア-

2016年2月1日から12日まで, 還暦CDデビュー記念日本ツアーを、
ピアノの百々徹さんと行なう。

場所      曜日   ジャズクラブ   ベーシスト
名古屋     3 水  Star Eyes      島田剛
東京       4 木  Body & Soul      佐藤 恭彦
山口       5 金  サンルート徳山   山本優一郎
京都       6 土  Le Club Jazz     萬恭隆
神戸       7 日  Born Free       荒玉哲郎
福岡 久留米  8 月  Roulette        丹羽肇
佐賀 嬉野   9 火  ラカーサマリア   丹羽肇
佐賀 嬉野   10 火  ラカーサマリア   丹羽肇
福岡      11 木  5 ペニーズ     丹羽肇

ピアノのToru Dodo さんとの2人旅でした。どこの演奏会場も満員御礼でしたが、
特に東京のBody & Soulと京都のLe Club Jazzはソールドアウトとなりました。

Body & Soul オーナー関京子さんからのライブレポート
Body & Soul Live Report

現在 本人独身、New York 住在。 長男 オーストリア、ウイーンに住在



Posted on 2015/08/10 Mon. 12:38 [edit]

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